関連語

Posted on August 29th, 2009 by Author

カメラマン

本来の英語の "cameraman" は、スチル写真を撮るためのカメラではなく、映画やテレビのカメラで撮影する人(撮影技師)を指す語である。日本では写真家も含めて「カメラマン」と呼ぶこともあるが、芸術的な写真を撮っていると自認する写真家は、カメラマンと呼ばれることをひどく嫌う。

なお映画のカメラマンは伝統的に<キャメラマン>と呼ばれる。

カメラマンと呼べる写真家の範囲であるが、クライアントである企業から仕事を受けて、または、企業向けの写真撮影をするタイプの写真家、すなわち、報道写真家、広告写真家、ファッション写真家といった範囲に限られるとする考え方がある一方で(従軍カメラマン、報道カメラマン、芸能カメラマンなど)、すべての写真家をカメラマンと呼ぶことができるとする考え方もあり(例えば、「アマチュアカメラマン」という言い方すらありうる)、一様ではない。

アマチュア写真家

「アマチュア写真家」という言い方が残っているように、特に戦前までの日本では、写真を撮ることで生計を立てていない人のことも「写真家」と呼んでいた。当時はカメラが高価だったこともあって、誰もが写真撮影できるような状況にはなく、撮影できる人が特別な存在であった事と関係しているであろう。

町の写真館

写真を撮ることで生計を立てていても、町の営業写真館(フォトスタジオ)を経営して写真撮影をしている人のことは「写真家」と呼ぶことに違和感を覚え、フリーの写真家のみ、もしくは広告業界や出版・放送関連業界の企業に属している者を加えて写真家と呼ぶ傾向がある。その理由についてはいくつか考えられる。

1.「町の写真屋」に対する蔑視が原因という説(被写体から言われた通り記念写真やお見合い写真を撮っている人は、芸術家たる写真家の名に値しない、そのような作品には芸術性や報道性がなく撮影者の主体性がない、というような蔑視。映画の看板を描く「看板屋」はあくまでも看板屋であって画家ではない、というような蔑視と同じタイプのもの)

2.逆に「町の写真屋」からアマチュアに対する蔑視が原因という説(もともと「町の写真屋」は、明治以降写真師と呼ばれて尊敬を受けており、「写真家」という呼び方は写真師がアマチュアを蔑視した言い方で、それゆえ写真師の方が蔑称である写真家と呼ばれることを拒否していた。ところが写真師という言葉がなくなり、「写真家」という呼び方がプロまで飲み込んでしまったという説)

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報道写真

Posted on August 29th, 2009 by Author

報道写真(ほうどうしゃしん)とは、主として印刷媒体での報道に際して、報道内容を視覚的に伝えるために用いられる写真のことをいう。報道写真を撮影する写真家はフォトジャーナリスト(photojournalist)と呼ばれる。

概説

カテゴライズの仕方として、報道写真の場合特別であるのは、それが写された内容や様式に基づくのではなく、その用いられ方による、という点である。

例えば、ある火事の写真を撮影した場合でも、家の持ち主が何らかの個人的な記録のために撮影したものであった場合や、警察が検証や捜査のために撮影したものであった場合には、報道写真とはいえない。しかし、まったく同じ写真であっても、新聞社のカメラマンが、報道目的で撮影したものであれば、結果的に、新聞等の印刷物で採用されなかったとしても、報道写真といえる。さらに、同じ写真を、たまたま通りかかった人が撮影した場合に、それを、個人的に持っている限りは報道写真とはいえないが、ある新聞記者が火事の写真を撮影した人がいるという話を聞きつけて、その写真を借りて新聞に掲載したら、その時点で報道写真と呼ばれることになる。

報道写真には、古くから次の2つの問題がある。

  • (1)報道写真の真実性の問題(報道写真をどのように使用するかという問題、撮影する場合に誇張はどこまで許されるのかという問題、「やらせ」の問題、報道写真に撮影された内容をどこまで信用できるのかという問題など)
  • (2)報道写真にまつわる権利(者)の問題(報道写真の使用の仕方を誰が決めるのかという問題、撮影者の意図と利用のされ方の乖離の問題、報道写真には撮影者を必ず明記すべきかという問題、撮影者の著作権・著作者人格権の問題など)

また、最近では、新たな問題として

  • (3)報道写真の終焉に関する問題(テレビやインターネットといった媒体が印刷媒体に対して持つ優位性(迅速性、臨場性などにおける優位性)から、報道写真は動画に対して副次的・補助的な資料(動画よりも取り扱いの容易な副次的・補助的な資料でしかない)となる、ひいては、駆逐されるのではないか、「報道写真」の存在意義がすでに失われているのではないか、といった問題)

も生じている。

用語

日本語の「報道写真」にあたるような使い方をされている外国語はいくつかあるが、主たる用語は、おおむね、次のような使い分けがなされている。

(1) フォトジャーナリズム(フォトジャーナリスト) (photojournalism)
「報道写真」と対照すべき最も一般的な用語であるが、「写真」ではなく「報道」の一規定と捉える点に大きな違いがある。(2)以下と比較して、新聞や雑誌などに掲載される、ある事実の瞬間を捕らえた、ニュース性(事件性・スクープ性)のある1枚ものの写真を意味することが多い。なお、報道写真家にあたる言葉は、フォトジャーナリストである。また、「ジャーナリズムフォト」とはいわない。
(2) ドキュメンタリーフォト・フォトドキュメンタリー (documentary photo/photo documentary)
上記 (1) に比べて、ある程度の枚数の写真によって、ある種のストーリーを語らせるような、作品を意味することが多い。ニュース性(事件性・スクープ性)がある場合も、ない場合もある。ある種の主張を含んでいる場合も、淡々と事実のみを伝える場合もある。最近はほとんど使われないが、日本語では、以下の (3)(4) も含めて、「組写真」と呼ばれることもある。
(3) フォト・ルポルタージュ、ルポルタージュ・フォト (photo reportage/reportage photo)
そもそも「報道写真」という日本語は、この「フォト・ルポルタージュ」が分かりにくいと写真家の名取洋之助に言われて、写真評論家の伊奈信男が作った訳語である。上記 (2) と近い意味もあるが、より、現地報告的な色彩(記録性)が強い作品(探訪記のようなもの)を意味する。ニュース性(事件性・スクープ性)はうすまり、一方で、主張よりも事実を前面に押し出す傾向が強いかもしれない。
(4) フォト・エッセイ (photo essay)
上記 (2) を、より厚く、深くしたような作品を意味することが多い。したがって、事件性が欠けることが多く、むしろ、社会的な問題を浮き彫りにしているような作品やある種の主張を含んでいる作品が多いと思われる。写真の枚数も、上記 (2)(3) よりも多くなることが予想され、新聞では、到底対応しきれないと予想される。例えば、Life誌に掲載された、ユージン・スミスの「カントリー・ドクター」のような作品は、フォト・エッセイと呼ばれることが多い。

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